■ A MIRACLE FOR YOU 

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銀次は、そろっと目を開けた。
時刻は、ぴったり午前2時。
さしもの蛮も、時間が時間だけに熟睡しているはずだ。
運転席をちらっと見、ドア側に凭れている蛮の微かに漏れる寝息を確認し、ゆっくりとサイドシートで身を起こす。
そして、ごそごそと後部座席の足もとの紙袋を取り出すと、サッと自分の羽織っている毛布の中に隠して、蛮の様子を伺う。
…よし、今夜も何とか気づかれずに行けそう。
心の中でピースサインを出して、毛布を羽織ったままスバルのドアを開いた。
閉める時は、より慎重に…。
反動を付けて閉めると、音が静まり返った公園中にバァン!と響くぐらいの轟音になるので、あくまでも慎重に閉め、半ドアになってしまった後は体ごと使ってぐぐっと押し込む。

「コラァ、銀次!」

「うわあ、ははははい! 蛮ちゃん、ごめんなさい!」
ドアを閉めるなり怒鳴られて、びくう!として思わず謝ってみるけれど、蛮は目をつぶったままで、あと二言三言何かぶつぶつ言ったかと思うと、そのまままた寝息を立て始めた。
サイドシートの窓からそれを、どきどきしつつ盗み見ていた銀次は、はあ〜と思い切り脱力する。
「…なんだ、寝言かぁ…」
それにしても寝てる間までオレに怒鳴んなくてもーとホッとしつつも思いながら、けれど蛮の寝顔を見ると、なぜかくすっと笑いがこぼれてしまう。
そして、静かに毛布と紙袋を抱え直し、とりあえずはスバルから見えないベンチまで移動した。
ここのところ、そこは夜中の銀次の”指定席”になっている。
いつものように、毛布にくるまって腰掛けると、銀次はごそごそとその中身を取り出した。
毛布は肩から体を包むようにして羽織り、両手だけを出す。
既にかじかんでいる手にはあ〜と息を吹きかけ、ヨシ!と気合いを入れて2本の棒針を手にした。
編み上がって針から垂れ下がっている分を満足げに見つめ、それからゆっくりと動かし始める。
「えーっと、今度はコッチだから… 毛糸をコッチに持ってきて、と。それから…。ここにこの棒を差し込んで毛糸をひっかけて… うーん。大分長くなってきたのはいいけど…。これってさ、巻いててもあんまりあったかくなさそうなぐらい、あちこち穴だらけなんだけど…。夏実ちゃんに見てもらった時は、もうちょっとマシだったんだけどなあ。なんとなく幅も太くなったり細くなったりしてる気がすっし。―でも、ま! 手作りのプレゼントなんて、気持ちがこもってたらいいんだもんねー! 少々出来が悪くったって…! ―あ、でも…。蛮ちゃんのことだから、そうゆうトコ結構シビアかも… こんなにぐちゃぐちゃのマフラーなんか誰がいるかよーって言って、もらってくんなかったりしたら… さすがにショックかもー…」
考えて、手が止まる。
もしも、こんなものいらないと、突っ返されたら?
―うーん…。
まあ、そん時は、そん時で!
意外にやさしいとこもあるし、一生懸命作ったって、蛮ちゃんなら、きっとワカってくれるよね。
自分を励ますように心の中でそう言って、気を取り直してまた手を進める。
ふいに、さっき見た蛮の寝顔を思い出した。
ふふっと笑む。
「蛮ちゃんてさー、寝てるとなんかコドモみたいなんだよねー。いつもオレのコト、ガキだガキだっていうけど、寝顔は蛮ちゃんだって、結構可愛いと思うんだけどなー。なんかこう、やんちゃ坊主って感じでv へへっv」
眠っている時には、いつもの大人びた感じとか、少し冷たそうな感じとか(銀次は、そう思ったことはないが)がしないのは、あの紫紺の瞳が隠されているせいだと思う。
澄んだ、静かな深海のような色。
見つめられると、ついうっとりと、そのきれいな色に魅入ってしまう。
蛮は、自分のその不現の瞳を嫌っているけれど、銀次は本当に大好きなのだ。
宝石のようにきれいで、吸い込まれていきそうな深い色なのに、どこかやさしくて。
そんなわけで毛糸も、ついそんな色を選んでしまった。
同じような色はなかったので、明るめの青紫なんだけれども。
「でもねー、オレはねー。眠ってて子供みたいな蛮ちゃんも、起きてる時のカッコいい蛮ちゃんも、ドッチも大好きなんだよねー! …なんつって、へへ」
自分で言って、自分で照れる。
まるでそんな気持ちを聞いてもらっているかのように、夜空にぽっかり浮かぶ月を見上げた。

無限城にいた頃も、こんな風によく1人で月を見ていたなあと思い返す。
襲撃のない静かな夜、月は『雷帝』の孤独を知る唯一のものだった。
1人瓦礫の上に腰掛け夜空を見上げ、何をその心で思うでも語るでもなく見ているだけだったけれど、それでも戦いに荒ぶる心は鎮められた。

大丈夫。
まだ大丈夫。
オレは、まだ”オレ”でいる―。
まだ、皆を守れる。
この力は、まだ、正しく使えている。大丈夫…。


思い出し、僅かばかり睫毛が伏せられかけるが、すぐに思い直したようにまた瞳を上げる。


そんな孤独の中から、蛮ちゃんが救い出してくれた。
だから―。

いや…。

だからって、わけじゃない。
ただ、オレがそうしたいんだ。
蛮ちゃんのために出来ることを、どんなことでもいいからしてあげたい。
あげられるものがあるなら、何だってあげたい―。

ただ、本当に、それだけなんだ――。




そもそもの事の発端は。
2週間前の昼下がり。
蛮は、煙草を買いに行ったっきり、なかなか戻ってはこなくて。
銀次は、1人仕方なく公園のベンチでぼーっとしていた。
その隣に1人の初老の婦人がちょこんと腰掛け、おもむろに編み物を始めた。
12月とはいえ、その日は結構あたたかくて。
風もなくて、日差しはやんわりとぽかぽかしてて。
なんだか眠くなってきたなあと思いつつも、見るとはなしに、その手の中で器用に動く編み棒をぼんやり見ていた。
そんな時、その老婦人の膝に掛けられていたショールが、ふいに足下にずり落ちたのだ。
慌てて拾おうとするより早く銀次の手が伸び、それを膝に”はい”と掛け直してやると、彼女は目元にチャーミングな笑い皺をいっぱい作り破顔した。
「まあ、ありがとう」
「いいえ、どういたしましてー。おばあちゃん、編み物上手だねー」
「ああ、これ。主人にね、寒くなってきたから、セーターでも編んであげようかと思ってねー」
「ふうん。仲良しなんだねー」
「いえいえ。普段は、喧嘩ばっかりなんだけどねえ。でも、それでもいつも感謝してるのよって、そういうのはほら、長く一緒にいればいるほど、なかなか照れくさくて言葉で言えないものでしょう。だからね、ちょっとこういう手作りのものに、
”ありがとう”って気持ちを込めて贈ってみたら、伝わるかしらねえって」
「へえ。そうなんだ…。いいねー! なんかそういうの」
「そう?」
「うん! なんか、聞いててオレも嬉しいし! きっとおじいちゃんもすんごく喜ぶと思うよー」
「そうかしらねー」
「うん、絶対!」
にこにこするおばあさんにつられて、自分も思わずにこにこ顔になる。
そして、ふと、何か思いついたように、”あっ”と声を上げた。
「ねえ、おばあちゃん。そういう編み物って、オトコがすんのはおかしいの?」
「え? いいえ?」
「んじゃ、セーターとかマフラーとかさ、オトコのオレが編んで誰かに誕生日プレゼントするのって、どうかな。喜ばれるかなあ」
「そりゃもう。私だったら大喜び」
「そっか…」
「ええ」
思い描いて、口元がほころぶ。

まあ、照れ屋の蛮ちゃんのことだから、そんなに嬉しそうにしてくれっこないだろうけれど。
でも、日頃いっぱい想っている気持ちをそこに編み込んで打ち明けられる。
それっていいかもしれない。

ちょうど蛮の誕生日が近いこともあって、銀次は銀次なりに悩んでいたところだったから。
いったい、自分が何をしてあげられるだろう、と。
何か買ってあげられればいいなあと、かなり前から小銭だけは溜め込んでいたものの。
(お陰でジャケットは、毎日ずっしり重かった)
これだけで何が買えるかわからなかったし、何を買ったらいいかというのも、もう一つピンとこなかった。
でも、これなら―

うん、そうだ、そうしよう。

あっさりと結論を出して、即座に銀次は行動に起こすことにした。
蛮がまだ帰ってこないうちにと、おばあさんに軽く礼を言って、ホンキートンクに走る。
編み物なんてもちろんしたことがないのだから、まず先生をゲットすることが先決だ。



そして結局。
銀次は、無事”夏実先生”をゲットし、早速毛糸を買うのに付き合ってもらい編み針を借り、ついでに編み方指導もお願いし、現在に至るというわけなのだ。




大好きな人の誕生日に、世界中で一つしかないものをプレゼントとして贈りたい。
それが、自分の手作りだったりしたら―。
贈るオレも嬉しいし、貰う蛮ちゃんだって嬉しいんじゃないかな。

動機は、いたってシンプルだった。
でも、編み物というのはどうだろう。

女の子みたいって笑われるかな。
男のクセに何やってんだとか。
ああ、蛮ちゃん、言いそう。
でもね、コレあったかいんだよ蛮ちゃん。
こうやって、自分の膝の上にあるだけで、すんごくあったかいもん。
きっと、蛮ちゃんだって、あったかいよ。
スバルの中は、毛布だけじゃ寒いし。
ほら、夜中にちょっと煙草吸いに車から出たりしてるでしょ。
ああいう時にさ。役にたてるんじゃないかなって思うんだ。
どうかなー。

銀次はそんな風に心の中で蛮に語りかけながら、口元にやんわりとした笑みを浮かべると、かじかんで普段以上に不器用になっている指先を、それでも休まず動かし続けた。

それにしても。
12月に入ってから、気温は下がり続ける一方で。
しかもこんな夜中だから、もうベンチに腰掛けてるだけで、足下から底冷えがしてくるぐらいに寒い。
指先も、いくら息を吹きかけても、すぐにかじかんできてしまう。
吐き出す息が白いのは、スバルの中にいても変わらないのだが、外気に晒されているのとそうでないのとでは、やはり雲泥の差がある。
時間が経つにつれて歯もがちがちと鳴り出し、鼻水まで出てくるわで、泣きたい気分になるけれど、”蛮ちゃんのため、蛮ちゃんのため”と心で唱えると、不思議と胸の内はあったかくなった。

―銀次がぶるぶる震える体でスバルに戻る頃には、既に東の空が白んできていた。




「ふぇっくしょん! へえ〜〜っっくしょん!」
「ああもう! んだよ、テメーは! こっち向いてクシャミすんじゃねえ!」
ホンキートンクのカウンターでいつものようにコーヒーを飲みながら、盛大に思い切りくしゃみを連発する銀次に、蛮が飛沫を避けつつ怒鳴りつける。
「だって、さあ…。ふぇ…ふぇ…ふぇ〜〜っくしょい!」
「だああ、汚ねぇっての!こら!」
「いで! 殴んないでよーもう」
「うるせー。アホのくせに生意気に風邪引きやがってよ!」
「アホのくせにって、風邪引かないのは、アホじゃなくてバカなんじゃなかったっけ」
「どっちでも変わらねぇっての! ったく! オラ、ビラ捲き行くぜ!」
「あ、待ってよ。蛮ちゃん!」
スツールを立つ蛮を追い掛けようと、慌ててて立ち上がる銀次のその前で、トレーを抱えた夏実がにっこりとして言った。
「あ、蛮さーん」
「あ?」
「もうすぐお誕生日なんでしょ? マスターと、何かお祝いにご馳走作ろうかって言ってるんですけど、何
がいいですかあ?」
「わーい、ご馳走ごちそう〜v ええっと夏実ちゃんオレはねー、ピザとねー」
「テメエに聞いてんじゃねえっての」
「いだだだ…! もお、蛮ちゃん、痛い―っ」
銀次の頭をぐりぐりやりながら、蛮がいぶかしむように、チラと波児を見る。
「してもよ―。どういう風の吹き回しだ? 波児?」
「べーつに。夏実ちゃんたちがそうしてやろうって言うからなー。それにまー、気に入らねえってなら、しっかり全額ツケに回しとくから安心しろ」
「ああ!? それのどこが祝いだってんだ!」
「まあまあ、せっかく波児さんがああ言ってくれてることだしさ! ここはご馳走になっちゃおうよ、ねっ!」
「なぁに聞いてんだ、テメーは! オレたちのツケが増えるだけの事じゃねーか。だいたい、オレは誕生日なんてぇもん…」
「はいはい。んじゃあ、波児さん後はヨロシクー!」
「オイこら! んだよ、銀次! テメー、なんかまた下らねえ事企んでやがんじゃ…」
「下らないことじゃないでしょ、ご馳走食べられるんだもん。オレ、やっぱピザとチキンとシャンパンと〜」
「テメー、それはクリスマスだろーが!」
「あ、そうかー。んじゃあ、ビラ配り行ってきまーす」
「いってらっしゃーい」
「気ぃつけてな」
銀次に背中を押されるようにしながら蛮が店の扉を開き、その後ろから銀次が波児たちを振り返りつつ、にかっと笑みを残して店を出ていく。

「銀ちゃん、張り切ってますねえ」
「ああ。まあ、裏目に出なけりゃいいけどな」
「なーんか起こりそうな、ヤな予感がするんですけど…」
「やーだレナちゃん、気のせい気のせい! さて、私たちはどんなケーキにするか考えましょー。マスターは、蛮さんの大好物、いっぱい作ってあげてくださいね!」
「…まあ、アイツに頭下げられちゃなあー。しょうがねえ、腕を奮うとするか」
「頑張ってくださいねv」
「ほいほい」

店の窓からは、じゃれつくように蛮の背中に飛びつく銀次と、それを払いのけることもなく笑んでいる蛮の横顔が見える。
その後ろ姿をカウンターの中から見送って、夏実とレナと波児は互いに笑みながら顔を見合わせた。







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